RADWIMPS STAFF DIARY

2011年07月25日

いとしき。

 

ワタナベです。

 

沖縄公演が終わり、明日からは東北ツアー。

4月から始まった絶体延命ツアーも、残り5公演。

どの地区のファンも大切だけれども、東北のみんなには、元気になって貰いたい。

 

がんばれ。なんて言えません。

全国を廻って貰った元気を、 まとめて届けに行きます。

 

3月11日。

交通が止まっていたので、数時間歩いて帰った。

歩道は人で溢れかえり、車道を多くの人が歩いていた。

車は、1ミリも動いていなかった。

電話も繋がらず、何が起こったのか、良くわからなかった。

 

テレビで東北の様子を観て、愕然とした。

つい先日、キャンペーンで訪れた仙台。

あんなに優しい笑顔で迎えてくれた人たちは、どうしているだろうと、心がギシギシした。

 

すぐに洋次郎が動いて、その日から支援サイト「糸色-itoshiki-」の立ち上げが始まった。

洋次郎は、ほとんど寝てなかったのではと思う。

所属事務所社長の善木さんが、口座開設に走ったり、塚原マネージャーが支援物資の受け入れ先を調べたり。

多くのアーティストが、コメントをよせてくれた。

 

そして、「糸色-itoshiki-」や各ライブ会場を通じて、多くの方々が募金をしてくれた。

義援金募集はいったん締め切り、総額を日本赤十字社に寄付します。

寄付金額は、「糸色-itoshiki-」にアップします。

 

ご協力、ありがとうございました。

皆さんの気持ちも、東北に持っていきたいと思います。

 

「絶体絶命」~「糸色-itoshiki-」~「絶体延命」

きっと大きな意味があるんだろうと思う。

 

生き延びよう。

そしていつか、みんなで笑顔をかわそう。

握手したり、肩をたたきあったりしよう。

 

15:25 | Comments(329)

2011年07月04日

ボク

 

ワタナベです。

Zepp Tokyoも終わり、ライブはあと8本。

 

5日からは、大阪城ホール。

歓声が聞こえて来るような気がする。

 

観に来る人は、チケットを大切に持って来てください。

なくすなよー。

忘れるなよー。

 

ライブは、オープニングから素晴らしいです。

遅れるなよー。

友達、待たすなよー。

 

終演後は、ボクチン号外を配っています。

(場所によっては、開演前に配る時もあります。)

貰って帰ってくれよー。

途中で、捨てるなよー。

 

ボクチン号外(ただのチラシだけど。)は、来てくれた人に、何かおみやげになるものを配ろう。と、RADWIMPS所属事務所社長、善木さんの発案で始まりました。

(パソコンでスタッフダイアリーにアクセスすると、善木さんの写真が見られます。)

 

現在は、ライブの感想を受け取れるように、QRコードを入れています。

是非、書いてみてください。

 

「ナベさん、またボクチン作ってくださいね。」と、善木さんから電話を受け、「中身どうしようかなあ。ネタがねえなあ。」と言いながら、作っています。

 

いつからボクチンが始まったのか、思い出してみた。

 

2005年9月3日 ツアーファイナル横浜BLITZ.

「セプテンバーさん」は、ここで初めて演奏された。

この日、RADWIMPSはメジャーデビューを発表。ライブ終了後、デビュー曲「25コ目の染色体」の着うたを配信した。

 

この配信を告知するチラシを、終演後に配ったのが、ボクチンの原型だったように思う。

 

ライブ前日、いよいよデビューだデビューだ。歴史が変わるぞ!と、チラシに入れたQRコードが繋がるかどうか、何度も確認したのを、良く覚えている。

 

2005.9.3 RADWIMPS@YOKOHAMA BLITZ 

と書いたスタンプも作った。

ライブに来てくれたマスコミに配る資料を、袋に入れて、ペタっと押した。

(スタンプは良き思い出として、大切に保存してあります。)

 

デビューしてから、店頭にフリーペーパーを配る事になり、名前をボクチンとした。TOWER誌に、ボクチン号外の名前で、連載もしてた。

 

そんなこんなで、ボクチンは続いています。

ボクチンは、RADWIMPSが所属する事務所の名前です。

 

今回の日記、ツアーが始まった頃に書けば良かったな。

失礼しました。

 

絶体延命。

チケットを手にした人も、手に出来なかった人も。

生き延びて、また観に来てください。

 

17:52 | Comments(540)

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