『春灯』

今年もこの日がやってきました。 
あれから5年。 
とても長いような気もしますが、あっという間だった気もします。 
中学1年生だった人は高校3年生に。1歳だった子は小学1年生に。 
25歳だった僕も30歳になりました。 
 
5年という月日の間に『復興』の度合いも地域により差が開いてきています。未だに福島第一原発の事故は収束していません。コントロールできていません。避難解除を受け、着々と街も整備され、前に動き出した地域がたくさんあります。一方でいまだ故郷に帰れない人がたくさんいます。仮設住宅に暮らしながら地元に帰る日を待つ人たちがいる一方、故郷に帰ることを諦め新しい場所での生活を始めている方もたくさんいます。震災の後遺症で亡くなる人もいまだにいます。 
 
原発の必要性の有無、様々なことが言われ物事は複雑に語られていきます。ただ、あの震災と津波だけだったら、今ほど復興に差が生まれ、地元に帰ることを諦める人は少なかったはずです。立ち入りさえ制限される区域は存在しなかったのです。『フクシマ』という言葉の響きが、2011年3月11日以前のものに再びなるには、あと何年かかるのでしょうか。 
 
心配すること、ただただ復興を願うことしか相変わらずできない自分なので、また曲を作りました。『春灯』と書いて「しゅんとう」と読みます。 
ぜひ聴いてください。 
 
来年以降も曲を作るかはわかりません。当たり前にやるかもしれません。ただ3月11日の、あの悲しみだけを切り取って一つの作品を作ることに少しずつ、違和感が生まれてきました。どの楽曲にも、含まれているように思うからです。逆にこの5年の間にも悲惨な事件、事故、大きな喜び、様々ありました。そしてそれらに常に影響されながら音楽を作っています。すべて混ざり合って「今」を生きている自分の音楽になっています。 
 
あの大きすぎる体験を僕たちは忘れてはいけないと思います。次いつ来るかわからない大災害の被害を、少しでも食い止めることであの日の震災の意味を変えることができます。 
世の中を見回すと人災、天災問わず悲劇は次から次に起きているように思います。感情が追いつかないほどめまぐるしい世界です。くじけそうになります。でもだから気付かされる人間の底力もあります。なるべくなら、光に眼を向けたいです。手を取り合って生きたいです。 
こんな世界にも、鳴る意味のある音をこれからも鳴らしていきたいです。 
 
今年も映像はコトリフィルムのみんなに作ってもらいました。僕がレコーディングで行けなかったので、今年はコトリスタッフ総出で臨んでもらいました。空は南相馬の空です。毎年、毎年、本当にありがとう。帰りの運転も気をつけてね。音源も例年と同じく菅井さんに協力してもらいました。感謝。 
 
そして文章と映像を送ってくれた皆さん、どうもありがとう。一つ一つ読んでいるだけで、涙が出そうになりました。 
 
震災で亡くなった方の魂が安らかでありますように。 
今も被災し続ける方々に平穏な日々が訪れますように。 
そして理不尽な力に、奪われたすべての命に、合掌。 
 
 
洋次郎 
 
 
春灯/RADWIMPSオフィシャルYouTube 
 
Lyrics(歌詞) 
Japanese 
English

SHARE

04:03

Comments(95)

コメント(95)

なっぷるぱい

わーすごいね。春灯。あったかくなりそーですね。私ら奇跡の人やないですか、だから大丈夫やと想いますよ。10代から大きく成長できて、RADにも感謝感謝です。ありがたやー。心のなか暴走していたのが懐かしいです。

美希

広島公演行ってきました! 幸せになれました(●´ω`●) なんでもないや聞きたかったけど、喋りすぎで時間なかったのですか?笑 三年後も、待ってます(*´꒳`*) ちなみに島根人なんで、島根にもきてくれたら嬉しいです☆ 素敵なライブありがとうございました(o^^o)

ありがとう。 合掌。

M.I

震災時、私は保育園の年長でした。教室の物がたくさん落ちて来る様子はいまでも覚えてます。当時はまだ、茨城にいたので津波もきていたりして怖かったです。でも、そんなことより近所から聴こえてきたRADの曲の方が印象に残っています。その頃から私は野田さんの声がとても好きになりました。今も、野田さんの声に癒されてます。^_^

ダサい猫

6年目の今日もまたここに来てざわざわする心を落ち着けています。 ただただ毎日に感謝しながらこれからも生きて行きます

たい

あれから6年。忘れなんかしません。忘れない為にもこの年に結婚をしたのです。来年にした方がいいんじゃないのか、不謹慎ではないか、本当に悩みました。 自分は長野に住んでいます。あの日長野でも地震があり被災した地域がありました。直接自分に被害はありませんでした。だからこそ忘れてはいけない事に思いました。 日々暗いニュースは流れ当事者でなければ結局忘れていきます。それがもし自分の事なら、家族なら、大切な誰かの事なら少しでも忘れては欲しくないと思います。 全てを受け入れ背負っていけるような大きな人間ではないけど忘れたくはない。 テレビには流れなかった被災地や災害は数多くあったかもしれません。テレビで得る情報だけが全てはないではず。 まだ行けていません。あなた達にいつか会いに行きます。 いい事ばかりではないけど生きましょう。楽しい事探しにこの先も。 子供ができなかった僕達夫婦には分からない事が沢山待ち受けているかもしれないけど分かる事も共感できる事もあるはず。 いつかまた。

はこしん

今年で6年が経ちました。 今年は忙しい時期だとは思うので曲は作れないと思いますが洋次郎さんの被災者を思う気持ちはきっと変わっていないと思うのでこれからのツアーで東北にきたら是非盛り上げてください!!応援しています!

まあや

私は、まだまだ未来のある肉親を亡くしました。  でもラッドの皆さんがこのような活動をしてくださることにとても感動しました。

ぴっぴ

久しぶりにききました。 涙が止まらなかった。 ようじろうの、みんなのコメントをみて、 歌をきいて。 もう少し頑張ってみようかな。 これからも応援しています。 がんばれRADWIMPS! ありがとうRADWIMPS!

あべし

春灯は聴くくたんびに泣きます 3・11の時、私は小学校四年生で、帰りの会の最中でした。 すごく怖くて、建物の下敷きになってしまうんじゃないかと思いました。 揺れがおさまってから集団下校をしていると、当時二歳だった弟と母とペットが迎えに来てくれました。 その時安心して泣いてしまったことを今でも覚えています。 あの日から5年。 長いようで、短い時間年月がたちましたが、今でも復興が進んでいないということを思い出しながらこれからの日々送っていきたいと思います。

mikoto

映像を見ていたら、自然と涙が浮かんできました。 前よりも素晴らしい街を作る!というコメントに私も励まされました。 生まれも育ちも熊本県です。 まだ心の底から笑えないけど、笑顔で乗り切るんだと皆で誓いました! 東北に負けないくらいの、素晴らしい街を取り戻して見せます! 『生きていれば何でも出来る!』 熊本も前を向いて頑張ります!!

TAKI

宮城県在住の高校生です。 一言だけ。 洋次郎さん、ありがとう。 大好きです。

あんちゃむ

洋次郎さん。武田さん。桑原さん。山口さん。 そして、みっきー。 いつもありがとう。 RADWIMPS大好き。

ささくれが痛い

RADWIMPSありがとう。 みんなありがとう。 いろんなことが頭を駆け巡って、自分の汚さとか醜さとか。 ただ、みんなが大好きだし大好きでいたいと思ってるから。 色んなことで色んなこと思ってる人が色んなことを想えますように。 その人とそのまわりの人が色んな想いに出会えますように。 祈ります。

にこにこにー

人の手に負えないものを作っちゃって 結局はみんなで困り みんなが口をつぐんでしまおうとしている そうではない方法をみんなで考えるには やっぱり忘れずにいることなんだろうな 違和感はあって当たり前だと思った だっていつかは終わることが分かっているこの地球で 何かを続くように守ること自体 よく考えたら変な話だし でも なかったことになんかできない人がいっぱいいるんだもの なかったことになんかできない 自分はそう思っています ありがとう  ありがとう

ぱーかす

ついに五年ですね。この節目の年を迎え、私は、私たち一人ひとりが変わっていかなければならないのかな、と思っています。 最近、再稼動の動きが話題となっていますが、原子力に頼らなければいけない原因は私たち皆にあると思います。代替できる発電方法がまだないこと、原発収入に頼らなければ自活していけない市町村があること、私たちが電気を使わなければ生きていけなくなってしまったこと、その他多くの事情があっての再稼動です。 それをふまえて、私たちが原発反対を唱えるのなら、それだけの行動もしなければならないと思います。工業製品の省エネ化や新エネルギーの開発に貢献するのは難しいことですが、節電したり、自転車通勤するくらいなら誰もができるはずです。また、私たちがすべきのは、決して電車などでデモ会場に向かうことではないはずです。 これまでの生活を続けているだけでは、「復旧」はできても「復興」はできません。 偉そうに書きましたが、私自身も、「早く復興させよう」と思わなければいけないのに、「早く復興してほしい」と祈っているだけの、愚人です。

しんのすけ

今年もありがとうございます。 忙しくてもこうやって毎年作ってくれてありがとうございます。 僕の家は無くなり未だに仮設住宅です。でも家族がいる。その暖かみは消えません。あの日のことも忘れません。3.11以降もう会えなくなった人もいます。 小学6年生だった僕も今は高校に入り新しい地で親元を離れて下宿してそこまでの道のりでたくさんの出会いがありました。 今年の春から高校三年生になります。もっともっと出会いが広がって行くと思います。 できたらRADWIMPSのライブにも行きたいです。hesonoo見に行けませんがDVDBlue-ray化されたら買います。そしてこれからの活動を岩手県から応援しています!! 来年もまた曲を作ってそして多くの人を励まして欲しいです。。…5年目、忘れないでいてくれてありがとうございます。

まいこ

ありがとう。 私は自分が生まれ育った福島が大好きだから、福島からどこかへは行けない。 あの日、あの時の事を忘れることはない… どうしても、涙が出てくる。 色んなとこが、痛くてしょうがなくなる… たくさん助けてもらってるから胸もあつくなる。 私の居場所はここ。 ありがとう。が、いっぱいです。

野田 汁子

洋次郎のまんまで RADWIMPSのまんまがさいこー///

ooshima

誰の光でありつづられるように、音楽の鐘を鳴らし続けてください。 違和感や理不尽なことが起きても、生きて感じていることを歌詞に乗せ励行し誠実にやり続けてほしいと思います。

まりの

5年という月日。5年前はあんなに衝撃的な日だったのに、わたしは3/11を何事もなかったかのように終えてしまいました。忘れてはいけない。気づかせてくれてありがとう。わたしもなにか、チカラになりたい

Vivi

コメント1つ1つしっかり読みました 私は当時小学校六年生で 卒業式の予行が 終わり、帰りの会だったと思います。 地震だぁ と誰かが言ってみんなが騒ぎ出したのを 覚えています。 その後すぐに先生がテレビをつけてくれました。 そしたら言葉にできないほど 悲惨な光景が目に 映りました。 小学生だったので、衝撃は大きかったです。 鮮明に覚えています。 私は 祖父母の家と、小学校四年生までいた所が 山形でした。 まず第一に、祖父母と友達の安否が 私の中でぐるぐるとして 涙が止まりませんでした。 しばらくすると被災の中心が福島であると知って、なぜだか少し 不本意ですが安心してしまいました。 そして 津波が町を飲み込んでいる映像が流れた時 ぞっ としました。 自分の立場に置き換えて 考えました。 私がここにいたら、 どうしただろう。と。 泳げたかな、 何かにつかまって、浮けたかな、 そんなことできる訳がないのに。 小さな私はこんなことを考えていました。 今年も曲をありがとうございます。 私たちが生きていく上で忘れてはならないことを 曲にして 残してくれてありがとう。

ゆか

3月11日を特別にすることには私にも少し違和感があります。 でも、当たり前になってしまうのも良くないのではないかと思います。 実際に被災していない私にとっては、なかなか普段の生活の中で震災を思い出すきっかけはありません。 3.11という言葉がある事で、思い出して、再確認できる。今後訪れるかもしれない災害について考えることができる。 毎年この日に発表してくれるRADWIMPSの曲で、震災から時が経ったことを実感しています。 春灯、当時の沢山の人達の言葉を伝えてくれて嬉しいです。その方達の言葉に、洋次郎の歌に、曲に、言葉に、涙が溢れました。ありがとう。

*亜衣莉*

RADWIMPS、最高です。 これからも頑張って下さい。ずっと応援してます!

しゃけ

ありがとう

カメ

聴けて良かったです。 当時、自分が帰宅困難者になったこと 岩手に住む友達の安否が心配だったこと 思い出します。 今すぐ大事な人のそばに行きたい気持ちになります。

ザワ

今年も曲をありがとう。大切に聞かせもらうよ。

なお

合掌。

mina

春灯きかせていただきました。 私は小学4年生の頃震災を神奈川で受けました。 私の母は、海の近くの保育園で働いていたため、家族みんなで母を心配したのを覚えています。 その頃はまだRADWIMPSに出会っておらず毎年、新曲を出していることを知りませんでした。 私が中学1年生になると友達がRADWIMPSを知っていました。 それがきっかけとなりRADWIMPSを好きになりました。 まだまだ未熟でRADWIMPSのことをたくさん知っている訳ではありませんが、洋次郎さんをはじめ、RADWIMPSの皆さんが、復興に向けよく考えていらっしゃることを私はほんとにいいバンドなんだなと心から思っています。 これからいつどこでまた大きな震災が起こるかわかりませんが、生きている事に感謝をし、復興に向け何か小さな事でも協力していけたらと思います。 皆で手を取り合えばきっと大きな輪になり、より良い国になることでしょう。 いつも考えさせられる曲をありがとうございます。 これからもより一層応援しています!! 長文失礼しました。

わさび

 教育に携わって20年が過ぎようとしています。現在の政治があまりにも現実と乖離していて、弱者の上を跨いで通り過ぎるこの日本で、未来に向う子供たちと共に過ごしながら将来への不安がぬぐいきれない日々を送っています。刻々と過ぎていく時間の中で、過去を引っ提げて前を向いて歩いていく覚悟はあります。立場を越えて貫く、人間の智慧を信じて。5年たって確信したこと。3.11は、限られた地域だけのことではないということ。だったら何をしよう。この思いに向き合う、今の自分の最良の方法は描くこと。ならばと、昨日から、洋次郎さんの歌詞をイメージソースに、絵を描きはじめました。

cherry

「春灯」素敵でした。 あったかい。包まれるような曲。 RADWIMPSの曲やなぁって感じました。 忘れません。 灯を消さないように、想いを受け継いでいくために、私なりに出来ることをしていこうと思います。 ありがとう。

たまき

どうしたらこんなに救われてることや感謝してること、愛してることをラッドの皆さんに伝わりますか? 音や言葉でたくさん支えてもらってるんです。 昔みたいに音楽漬けの毎日ではいないけど、何の気なしに思い出したり口ずさんでるんです。その時、ラッドを好きだなあって思うんです。テレパシーみたいに確実な言葉じゃなくても良いから、幸せを感じてる空気だけでも伝わらないかなと、思ってしまいます。 ラッドのメンバー、スタッフの皆さん、私と同じファンのひとたち、そして私自身が、まずは明日1日をうれしいものに出来ますように。

あゆみ

5年が経ちました。 この言い方は5年前で震災が終わったと言っているようなものと、TVの人が言ってました。 確かに、と私も思い、終わってなんかない、あの時から始まったんだ、と、このまま終わらせちゃいけない、と思いました。 実際、5年前の私は地震が起きてもヘラヘラしていて、とても不謹慎だったと思う。今でもそれが恥ずかしい。 TVで津波の映像やガレキが積み重なっているところなどを見ていたけど、どこか他人事のような。今となったらその態度は良くないと思うこともできるけど、5年前はできなかったなあ。 昔のそんな態度と、今になっても何も協力できてない自分の無力さが情けなくなる。 わかった事があります。私はまだ何かの災害の被害にあったことはないから、本当に被害に遭われた方の気持ちを丸ごと理解するのは不可能だってこと。でも私は今ちゃんと生きていて、これからも生きていくつもりだってこと。 それをわかった上で、考えました。 私がこれからも人と関わりながら生きていくなら、自分の世代がこれからの将来をちゃんと作っていき、この事を風化させずに後世にしっかりと受け継いでいくこと、それがあの頃から今まで何もできなかった私のせめてもの報いになるのかなと思いました。 現代に起こったからこそ、映像やリアルな写真がたくさんあることが唯一の救いかもしれません。 でも本当にこんな立派なことできるかわからないです。不安です。でもやりたいと思う気持ちはあります。 どうかどっかで見ていてください。 近いうちに東北の被災地に親と行ってみようと思います。そこでまた何を思うのか。何を感じられるのか。たくさん考えてきたいと思います。 今日もあなたが動いてくれたから、それに促されてたくさん考えることができました。本当にありがとう。

key

今年も、ありがとう。 忘れないでくれて、忘れさせないようにしてくれてありがとう。 毎年この日が来るのが本当に辛い。 私が愛した人達が流されて、避難区域になってバラバラになっていったあの日は無かったことにならないから。 今日も明日もまだまだ爪痕は残ってるしじょせんも終わってない。 だから、ずっととは言わないから、皆が元の生活に戻れたって胸を張って言えるような世界になるまで歌を歌い続けて欲しい。

TAKI

初めて投稿します。 私は宮城県の高校生です。 伝えたいことはたくさんあるのに、うまく言葉にできないでいます。 でも、これだけは伝えたい。 洋次郎さん、メッセージと「春灯」ありがとう。 大好きです。

腰痛持ちのヤツ

洋次郎、メンバーのみなさん、スタッフさん 今年もありがとう。 毎年この日にRADWIMPSが出す曲に 助けられています。 あの日を忘れてはいけない。 あの時の自分の無力さに 後悔してます。 なにか力になりたかった。 でも今年はなんかいつもと違って 実際力にはなっていないけど この日にこの曲を聴いて あの日のことを思うのが 自分なりの力なのかな? って思うようになりました。 間違ってるかもしれないけど 自分なりに進めれた気がする。 来年はもっと違うことで 力になりたいって思うかもしれない。 今はなんとも言えないけど 今進めれているって 自分で思うなら とことん進んでやろうと思う。 なにかいつもと違うけど そう思わせてくれた RADWIMPSに感謝します。 ありがとう 愛してるよ。

さえ

ありがとう。

ありさ

今年もこの日に、この日の為に曲を作ってくれてありがとう。 私は福島に住んでいます。 震災が起きた午後2時46分。 毎年この時間に、沢山の方が亡くなった海を見て黙祷をしてきました。 今日は仕事に終われ、気づくと午後3時過ぎに。 震災のことを忘れたわけではないんです。 忘れる事なんてできないんです。 でも少しずつ日常に溶けて、忘れないことが当たり前になっている気がします。 これでいいのかな? 復興してきたってことなのかな? 洋次郎さんが来年曲を作るか分からないといった気持ちが 私にはわかる気がします。 もし来年曲を作るとするなら、明るい曲がいいです。 中には不謹慎だと言う方もいるでしょう。 でも残された者だからこそ普通に日常を過ごすべきだと思うんです。 普通に仕事して、普通にご飯を食べて、普通に笑いあう。 頭の片隅には亡くなった人が常にいる。 それでいいんじゃないですかね? 長々とすみません。 これからも沢山の曲を作ってください。 応援しています。

かん

野田さんの文章力ってすごいな。曲聴いてないのに涙が出ました。私が生まれた日の次の日はたくさんの人が亡くなった日です。そんなあの日から少し感じ方の違う誕生日。野田さんの作る曲に励まされてました。野田さんありがとう。心苦しいならやめるべきだと思う。頑張ればいいってものでもないと思うので。この日に曲を発表する野田さんはほんとメンタル強いなって思ってました。やめるからって、メンタル弱いわけではないから野田さん自然体でいてくださいね。 こ誕生日に実家に行ったら、日本アカデミー賞を観た母があんたの好きな野田さんテレビ出てたよね?って言ってくれて舞い上がるくらい嬉しかった。野田さんはやっぱり特別な存在です。できたらラブシーンはやめてほしーなー活躍には今後も期待してます!野田さんRADこれからもあいしてるよー♡

しずか

RADWIMPSとコトリフィルムありがとう。 世界中の人が平凡だと思える毎日を送れますように。

ガチャガチャ

今日HESONOO見てきました。いままでより好きになりました。そしてこの曲を聴いてなんだかホッとしました。復興はまだまだですがみんなで一歩一歩頑張りましょう。

shima

ただ3月11日の、あの悲しみだけを切り取って一つの作品を作ることに少しずつ、違和感が生まれてきました。 これが風化なんでしょうか。

たく

あの日から、もう5年。まだ5年。 いろんな思いがあると思います。当時小学3年生だった僕も中学校3年生になろうとしています。 あの日テレビの前でただただ呆然とするだけだった。 5年たった今でも祈ることしかできないことにもどかしさを覚えます。 被災された方々が幸せになりますように。 合掌。

ありがとう。

意気地なし

ありがとう

芽依

今年もありがとうございました。 動画に協力させて頂くことで、 私なりに震災と向き合うことができました。 無力な私にも、こうやって動画に協力することで 考えるきっかけや、何かする という 何か を与えてくださって、本当にありがとうございました。 素敵な、素敵な曲をありがとうございました。 多くの人に届きますように。 5年前のこと、忘れません。 私に子供ができたらしっかり教えて、 また、伝えることの大切さも教えたいです。 5年前のことを忘れないと共に、 これから先私にできることを模索したいと思います。 5年前から思ってるけれど、 自力で出来る力も持ってなくて、 早く自分の足でしっかり立って、 自分の足で動き回って色んなものを見て、 私にできることをしたいと思います。 日常が戻りますように。

ささくれが痛い

みんな、ありがとう。 苦しみが、悲しみが、みんなを押しつぶしませんように。 恐怖が、後悔が、みんなの人生を捉えませんように。 何か光がみんなを照らし、そしてみんなが光となりますように。 RADありがとう。

らん

RADWIMPSの音楽に今日もたくさんの人が救われてると思います。いつもありがとう、 ただただ感謝です。

ゆめか

5年前の今日、彼氏と半年記念日で浮かれて帰って来てテレビを見て自分の小ささを思い知りました。何回もボランティアに行こうとして結局行けなかった自分の愚かさも。 こうやって曲を作り配信してくれるRADWIMPSがこれからも大好きです。

なほ

あの日ゎ私ゎまだ小学校5年生でした。九州にすんでいて東北で起こった地震に他人事のようで聞き流す毎日でした。テレビや新聞で連日流れる被災地のニュースもわけもわからずただ、見ているだけでした。でもあれから5年。私ゎ高校生になりました。命の大切さ生きてる素晴らしさに気づき、あの日亡くなられた方々にもやりたかった事未来があるんだと思ったら、ただ毎日を平凡に生きているのが申し訳なくおもってしまいます。だから、私になにかできることゎないか、完全なる復興に向けてなにかできることを探します。 洋次郎サンが毎年この日に出す歌ゎ私に勇気、希望、未来を与えてくれます。ありがとうっておかしいけどありがとうございます。

なほ

あの日ゎ私ゎまだ小学校5年生でした。九州にすんでいて東北で起こった地震に他人事のようにきょ。テレビや新聞で連日流れる震災した東北の様子に未熟な頭ゎ他人事のように感じていました。

あんじゅ

あの日からもう今日で五年。 あっという間に月日は流れました。 野田さんが作詞作曲をされた、春灯。 聴いてて、そして、皆さんのメッセージを見てて、自然と涙が溢れました。 私は、この『毎日』という当たり前の日々に退屈しながらも、なんとはなしに生きてきました。ですが、五年前、私の当たり前は特別になり、1日1日を大切に生きようと思いました。私は愛媛県に住んでいます。東北の方とは距離はありますが、悲惨さはテレビを通じて知りました。未だに、故郷に帰れない方、大切な人を亡くされた方。私の友達にも親友を亡くした子が身近にいます。決して、ひとごとでは終わらせてはならない、3・11 。 あの日起きたことを忘れず、そして、今自分が生きていること、家族と暮らせているこの当たり前に感謝をし、生きていこうと思います。 また、私の住んでいるところでは、南海トラフがくるのではないかと予想されています。 大地震に備えて今出来ることをしていきたいです。

あんち

今生きている私達がこの思いをこの先伝えて生きていかなきゃなっていう再確認の日になりました。洋次郎が思っていること、みんなが思っていること、私が思っていること、それぞれ違うけど、それぞれの形でひとつになって進んでいけたらなと思うばかりです。

Mさき

最初の言葉で亡くなった友達の顔が浮かんできて涙がでました。なんで私が生きてるんだろうって、ずっと思ってたけど5年と言う月日を考えながら春灯を聴いたら生きたいと思いました。たくさん泣いてたくさん笑いたい、ありがとう、RADWIMPS。

Hana

私は九州に住んでいます あの日は、飲食店のパートが終わって たまたま仕事が休みで家にいた旦那さんに 帰るよーと電話したら、なんか地震があった みたいで、気をつけて帰っておいでと言われました 帰宅してTVを観ると津波の映像でした 私の勤めていた飲食店は、海のそばでした たまたま、何事もなく生きている私 九州での大地震で津波がきていたら、私 あの日に死んでいたかもしれない でも、どこか遠い震災 判ってるようで、普段通りの生活をその後もしている 私 どうか、世界中に愛が溢れますように RADWIMPS 有難う

みはる

今年も素敵な曲をありがとう。 原発が無くならないこと、ほんとに悔しいです。地震と津波だけの天災だったら、仕方がないと最後には思えるかもしれない。海のそばに住みだしたのは自分たちなのだから。ただ、原発が原因で人が住めない地域ができて、たくさんの人のふるさとを奪ったということ。一つの町が死んでしまったということ。それがどんなに悲しくて恐ろしいことか、どうして国民みんなが同じ結論に至らないのか、不思議でたまらないです。今も増え続ける汚染水、汚染廃棄物。誰もどうにもできないくせに。議論なんて必要ないと思う。原発は人類の選択肢から外すべきだと思う。天災は仕方がないことだけど、この人災が悔しい。悔しいよ。

キチデン

保育士です。5年前の今日、1歳児の子ども達をお昼寝からおやつへと促していた時、震災がありました。(その時の子ども達も今年で卒園です)そして今日、その時の震災の話を子ども達に話しました。避難訓練もありました。いつも元気すぎる子ども達が、じっと話を聞いていました。 この日が特別な意味合いを持ってしまうのは当たり前な事かもしれません。しかし必要な事です。それを伝え続ける事も。震災、津波、人の命、人の結束力、そして受け継がせたくない原発の副産物。 毎年、あの日を思い出す事は、未来を育てる事に繋がっていると思います。春灯、大切に聴きます。

Ellie

またこの日に洋次郎の歌を聴けてありがとうございます。

璃詩亜

ありがとう、ありがとう。なんとも思わなかった震災に心が向くようになった。ひどい話だけど。RADを知って、3.11の曲を聴いたりして、大切な人が亡くなる悲しさが胸の奥の底からってまではわからないけどわかるようになった。1日1日を大切にしたい

沙月

私は震災が起こったときは遠いところにいて、だから被災された方たちの痛みとか辛さとかはわからない。 でもこうやって曲を聴いていると3.11だけに限らず色々考えさせられます。この時間がとっても大切だと思ってるし、これからも洋次郎さんの曲を聴いて考えていたいと思う。そんな時間を作ってくれたRADに感謝します。

A子(15)

私は小中高一貫の高校に通っています。 明日は卒業式で学校のみんなで卒業式の準備を進めていました。 14時46分になると作業を止め、小学生も中学生も高校生を黙祷をしました。 5年前のあの時間、私は小学6年生で授業が終わろうとしている時でした。 一切揺れずに私にとって、いつもの金曜日でした。 しかし帰る時に先生から「M9.1の地震が東北地方であったみたい」と お知らせがありました。M9.1と言われてもただ漠然に 大きい地震があったんだなぁ... くらいしか思っていませんでした。 福井にある学校から京都へ帰るとき、駅に着くと人が溢れて、 電車遅延のアナウンスがしきりに鳴りひびき、 異様な張り詰めた空気が漂っていました。 その時、何かを悟り急に怖くなりました。 しかし京都に帰ってもいつも通りの風景でさっきの恐怖が いつの間にか消えていた。家に帰ってTVをつけたときの衝撃は 今でも忘れません。画面に映っている景色が現実だとは思えなかった。 到底すぐには受け入れることなんて出来なかった。 目を背けてしまった。 震災から4が経った一昨年、東北地方を訪れた。 そして、去年も東北地方を訪れた。 どちらも学校からの課外授業や修学旅行で訪れた。 生で聴く「あの時」の状況、「死ぬのを覚悟した」という言葉、 鮮明に浮かび上がってくる景色、襲ってくる恐怖心。 生々しく家の壁に残る津波の跡。 石巻の介護施設に行って音楽を演奏させていただいた時、 「こうやって来てもらえると、忘れられていないと感じて、 本当に嬉しい。会いに来てくれてありがとう」との言葉。 目頭が熱くなった。たまらなく苦しかった。嬉しかった。 多くの児童・教員が亡くなった大川小学校にも行った。 建物が目に入った時、胸が締め付けられた。 震災当時、同じ年の子がこの場所で亡くなっているのだ。 そう思うとやり場のない感情が溢れだし、無力感に襲われた。 「生きていたら何とかなる。私も生きていたから、こうやって話が出来る」と笑っておじさんが話してくれた言葉は重く、気付いたら目頭が熱くなっていた。 「自分が危ないと思ったら、体一つで逃げるんだよ」と話す真剣な眼差しに、ただただ圧倒された。 陸前高田に行き、奇跡の一本松をみてきた。 周りはかさ上げ工事がおこなわれており、工事現場から音が響き渡っている。 今では平地が広がり人々が日常を過ごしていたであろう場所には何もない。 東北では次々と新しい道路や施設ができ、地図を作るのが追いついていない。「目に見える震災の跡」は次第に姿を消していき、 「目に見えない震災の傷」だけが残っていく。 私たちが出来る支援は「震災を忘れないこと」。 春灯ありがとう。私の動画はのらなかったけど、 ものすごく美しい。美しい。 合掌。

桜もち

春灯。聞きました。 色んな思いがこみ上げてきて、気が付いたら泣いてしまいました。 家族や友人に囲まれながら幸せに生活できることに感謝の念でいっぱいです。 あの時はまだ中学生でただただ怯えるだけでしたが、4月からは大学生になります。少しでも地元宮城の、そして東北の為に何か出来ればと思います。 素晴らしいと言う言葉では言い尽くせない、この様な曲を作ってくださり本当にありがとうございます。 不謹慎かも知れませんが、毎年この日に新曲が出るのを心待ちにしておりました。RADWIMPSの皆さん、スタッフの皆さん、どうかこれからもお身体に気を付けて健康に過ごしてください。 失われた全ての命に合掌。

今年もありがとうございました。 東北やほかの震災をうけた地域に住んでいる訳じゃないですが、すごく掬われた気がしました。

蒼桜

毎年3.11に思い出すではダメなのだと思います。毎日思って生きていかねばならないのだと思います。それでも日々生きていく中で思い出さない時間は少なからずあってしまうのだと思います。でも3.11は忘れられてはいけないし、3.11を知らない子供達に知ってもらわなくてはいけないことだと思います。洋次郎さんがこの年に一回の曲に疑問を覚えてしまうことは仕方ないことなのかもしれないのですが、震災のこと毎日考えて生きていけない私たち人間だからこそ洋次郎さんのように訴え続けてくださる方が必要なんだと思います。少なくとも私より洋次郎さんの方が知名度が高いです。そのことをいかして何かを伝えることは悪いことじゃなくむしろ私たちにできないことをしてくださっているのだと思っています。一年色々考えてどうされるか決められるとは思いますが私はこの活動を続けて欲しいと思います。何かを考えるきっかけに。

桜もち

春灯。聞きました。 色んな思いがこみ上げてきて、気が付いたら泣いてしまいました。 どんな言葉を使って感想を述べても言い尽くせる気がしません。 RADWIMPSの皆さん、スタッフの皆さんは勿論、今、家族や友人に囲まれながら幸せに生活できることに対する感謝です。

ゆうも

なんて綺麗で、切なくて、澄んだ歌なんだろうって思った。涙が出た。 あれからもう5年。 長いようで短かった5年間だった。 わたしは福島県民です。 震災以降、福島は風評被害などが絶えない。 テレビに映る映像だけが、福島の全てではないんです。 見えないところでどれだけの人が苦しんで、もがいて、それでも努力して、希望をもって生きているか。 福島は終わってなんかないです。 どんなに辛いことがあっても、何度挫けそうになっても、福島は立ち上がり続けます。 絶対にあきらめない。 3.11が特別なものだなんて思っていないけど この日のことは忘れないでほしい。 そして、3.11のときだけこのことを思い出すのではなく、日々の生活の中で、どんなに一瞬でも構わないから、多くの避難民の人たちがいることや復興のことを思い出してほしい。風化させないためにも。 もう5年。まだ5年。 なかなか復興は進まないけど 必ず福島が元気を、活気を取り戻すことを信じてます。 亡くなられた方、未だ行方不明の方 多くの方々にむけて。合掌

はるぽん

「春灯」聴いてて涙目が止まりませんでした。私は福島に住んでいて、その日はちょうど中学の卒業式の日でした。これから友達と出掛けようかというところで地震がきて、水も電気もなくて、スーパーにもコンビニにも食料なくて大変でした。それから絶体延命のツアー。ツアー初日が福島県の郡山と、私の地元でめちゃくちゃ嬉しかったのに、地震で延期になってすっごく悲しかった思い出があります。こうやって被災者のために毎年曲を書いてくれて本当に嬉しいし、まだまだみんなに支えられて私たちも生きてるんだなって思います。ありがとう。

わたる

復興に本当に必要なものが何なのかはわからないけど、自分の出来ることはしたい。もしかしたらこんな気持ちを自分が持つことも一つの力になれているのかもしれない。だとしたらRADWIMPSのおかげで良い方向に変わっているものが数え切れないほどあると思う。 毎年毎曲何か伝えなくちゃいけないなんて責任を背負う必要はどこにもなくて、だけどあなたたちの行動が確実に多くの人を救っていて。 亡くなられた方々の気持ちが晴れますように。残された方々が不足のない生活を送れるようになりますように。新しい命がこの先屈託のない笑顔を浮かべられますように。合掌。

よしだ

今年もありがとう。 合掌。

何年たっても、どんなときも何があっても、祈り続けています。

さくら

この5年間、この日に素敵な歌をありがとう。 春灯を聞いて泣きそうになりました。けどこのは自分が泣くところではないなと思い耐えました。 生きると言うことは簡単じゃない。 自然というとは怖いもの、自分たちにはコントロールできないもの。 いつなにが起きるかわかりません。 1日1日を大切にしていかなければならないなと3.11には余計考えさせられます。 春灯、RADWIMPSの想いがみんなに届きますように。合掌。

しののん

洋次郎 忘れないでいてくれて 忘れさせないでいてくれて ありがとう。

mai

合掌。

少年K

5年前、仙台市にいました。周りから見れば被災者だったのやもしれません。しかし、周りにはもっと大きな被害を、悲しみを、向ける場所のない怒りを抱えている人が大勢います。そんな中、私が被災者と自称するのは烏滸がましいことではあるとは思いますが、一被災者としてまず感謝させてください。長いのか、はたまた短いのかわからない5年という年月が過ぎました。様々なアーティストが被災者のためと曲を書き下ろした5年前、けれど未だに曲を書き続けてくれているアーティストは私はRADWIMPS以外知りません。毎年、あの悲劇を思い出させてくれてありがとう。取り繕った言葉はむしろ聞きたくありませんので、もし想いが溢れそうになってしまった時、また311の曲を作ってください。ありがとうありがとう。

シミズ

今年も投稿ありがとうございました。 今年は初めて動画協力をすることができて、嬉しかったです。 私の小さな想いを大きく具現化してくれる、そんな存在でいてくれるRADWIMPSに感謝しかありません。 RADWIMPSが歌を作らなくなっても、東日本大震災の復興を願い続ける想いを持ち続けてくれるならそれで十分です。 私は5年前、中学校の帰りに幼稚園へ弟を迎えに行っていました。西日本に住んでいる私は同時刻に東北が大地震に襲われているなんて夢にも思っていませんでした。 帰宅し、テレビを点けると画面いっぱいに映る津波、震災の規模を繰り返す女性アナウンサー、非日常しか映ってないテレビに真っ白になりました。状況を飲み込めず、幼い私はただ他人事のように見つめることしかできませんでした。 早く復興してほしい、そう願い続けても私の想いなど小さいもので、日々報道されるのは原発事故の責任のなすりつけあい。13歳なりに少しばかり軽蔑を覚えました。 どうすればいいのだろう、私は震災を経験してない、何言っても偽善者だと言われるのではないか、そんな想いが強くて、一歩を踏み出せずくすぶってばかりいました。 そんな中、ブリキを聴きました。 たとえ偽善者だと言われても、復興を願おう。かすかではあるが、募金をしよう。 その決心をすることができました。ありがとう。 RADWIMPSが背中を押してくれています。 ただの自己満足じゃないかと悩まされた時もありました。それでも復興を願い続けれたのもRADWIMPSのおかげです。 貴方達は何も間違っていない。RADWIMPSが率先してくれるおかげで、私のような弱い人間も声を張っていられます。正しいと思うことを、やりたいと思うことを、貫き通してください。 ありがとう。愛しています。

☺︎

高校三年生です。 卒業しました あの日から五年という月日が経ち わたしの夢も変わりました。 自衛官になるという夢です あの時の後ろ姿を忘れる事ができず 今年 海上自衛官になります。 この春灯を聞いていろいろ思います これからの日本がより明るくなりますように

すてふぁにー

とてもよかった。よかったと言っていいのかは分からないけど、心に響くものでした。ありがとう。どうしても日々は流れていって、みんなの記憶からも段々と薄れてきているのが現状で。悔しいけれど。でも、1年に一回、この日だけでも、思い出すだけででも、少しは報われるような気がする。ありがとう。だいすきです。僅かな時間しかないのに、完成させてくれてありがとう。

ぁき。

今年もありがとう。楽しみにしてたわけじゃないけど、なんだかほっとした。 少しずつ、メッセージが具体的になってきたね。とてもとても大事なこと、伝えてくれてありがとう。 洋次郎さんの影響力は大きいから、震災の今を言葉にしてくれるのはありがたいです。 忘れそうになることに目を向けさせてくれてありがとう。 原発。これだけの惨事を引き起こしても、まだ与党は依存しようとしている。どんなに屁理屈だしても、絶対に原発は間違っている。どれだけのリスクを伴って、どれだけの負の遺産を残すものなのか、ちゃんと見るべきだと思う。 復興も金稼ぎの道具にしている政治家、企業がいる。それが本当に悲しさと憤りを感じる。 必要な支援が必要な人に行き渡ることを願ってます。 そして、私はずっと3.11だけ特別視することに違和感はあって、でもそれは言っちゃいけないかなって思ってた。 もちろん、たくさんの人が被災してとても大きな悲しみがあって、特別なのかもしれないけど。 理不尽や不幸は日常に溢れてる。大きいも小さいも当人には関係なくて。 天災は防げない。けど、一人一人の意識が変われば防げる理不尽に今も苦しんでる人は震災犠牲者よりずっと多い。 全部に目を向けてら心がもたないけど、知らん顔もしてたらいけないと思う。 洋次郎さんがこの日に作ってきた曲は、震災だけじゃなくて、すべての理不尽に対して歌っているからとても好きです。 3.11に限定してしまうと、それ以上が伝わらないかもしれない。だから、この日にって決める必要はないと思う。 あなたが歌いたい歌を、いつも歌っていてほしいです。

マッシュおおせ

私は岩手県釜石市に住んでいます。 当時小学5年生だった私は今高校1年生です。 あの日、津波を背に生きるために走りました。第一避難場所までの記憶がないほど必死でした。避難場所で別れた友達は津波に飲まれました。交わした約束もありました。叶うことのない約束でした。 未だにあの時あの子を引き止めていればと思うことがあります。あの日のあの事を思い出す時、必ず3/11にyoutubeにあげられた曲を聴きます。これまで何度も救われました。ありがとうございます。 現在釜石では復興に向けて頑張っています。津波で何もなくなった場所に次々と建物が建ち、活気を取り戻しつつあります。釜石はもはや被災地ではありません。それは偏に支援、応援をしてくださる皆様のおかげです。しかし、復興はしているものの未だ道半ばです。これからも頑張ります。前よりもいい街をつくります。 最後になりますが、洋次郎さん、小鳥フィルムの皆さん、動画を送ってくれた皆さん、その他楽曲制作に関わってくれた皆さん、本当にありがとうございました。

じゅもく

ようじろう ありがとう。 RADWIMPS ありがとう。 わたしは 福島県人です。 うまれも育ちも 福島県。 2年前に結婚して、去年こどもがうまれました。 だいすきなふるさと 福島県。 『福島』であり、『フクシマ』ではない。 だいすきな福島県で 宝物の息子を育てていきます。

ニャニャ

今日HESONOO観て来ました。色々な気持ちの混ざり合った作品だったと思います。そして、この文面と曲を聴いて、常に過去には戻れ無い事実と向き合うしかない現実を嫌でも直視してしまいます。全ての人が幸せである事も不幸である事も出来ないので何も出来ない神になれる者はいないのだと思います。貴方の事を神化する若者が増えましたが貴方の等身大の曲をRADWIMPSの4人の形を応援し続けて行きたいと思います。貴方は、沢山の人に勇気や愛を注ぎそして、又、良い環境に恵まれて来た分を十分沢山の人に返す作業をしているように私の目には映ります。貴方が受け入れきれていない3人でのRADWIMPSを受け入れる事は私にはできませんが、過去には戻れ無い。津波の前日にも昨日にも戻れない震災前にもどんな事件や事故の前には戻れ無い…ただ、貴方と同じ空の下に居られる事に感謝して毎日を大切に生きていきたいと思います。そして全ての傷ついている人の心が少しでも癒やされますように。震災も人災も軽々しい言葉一つで深い心の傷を負ってしまった人々全てが少しでも癒やされますように。

ハル

何を言っても違う気がしても、 言葉に出すことを諦めたらだめですね。 毎年、曲をつくってくれてありがとう。 この日に産み落とされた曲に限らず、 RADWIMPSのつくるすべての音楽に救われています。

shi.

今日HESONOO見てきました。本当に素敵な映画だった。今まで以上にだいすきになりました。これからもずっとずっと応援し続ける。そして、ラッドの皆さんのような周りを幸せにできる人間になります。ありがとう。春灯素敵です。

かすみ

洋次郎の言葉を1つ1つ読んでいくだけでわたしは涙が出そうになります。洋次郎が毎年忘れないでいてくれるおかげで私は毎年この震災と向き合うことができます。Twitterで東北の方の人の映像を見て胸が痛みました。私にも何かできることがあればいいのだけれど。無力です。被災された方々が幸せになれますように。合掌。

SHIORI

ようじろうさん、メンバーさん、スタッフ。 毎年ありがとうございます。 毎年ようじろうさんが曲を作ってくれる。 また1年経ったと改めて感じる。 毎年違う気持ちになって、毎年合掌する。 物事は風化してしまうけど、忘れてはいけないこと、 目を背けてはいけないこと、 ようじろうさんの曲を通じて改めて思う。 心からありがとう。

りい

今年も曲を出してくれてありがとうございます。 五年前の記憶をいつまでも忘れず、当たり前でない命に感謝をしながら大事に生きていきたいと思います。

はるな

洋次郎、あなたのことが好きです

きょうか

今自分が笑っていられることがしあわせやなって思います。ニュースで流れる映像が現実に起きてることなのかわからなかったです。まだ小学6年だった私ももう直ぐ高校3年です。なにか被災地にできることをやっていこうと思います。ご冥福お祈り申し上げます。

ともきち

洋次郎のその言葉に何人の人が救われたことか... 春灯。ホントに素敵な曲でした。ありがとうございます。

せいら

今年も聴けてよかったよ。 あの日のことを思い出して 嘆くだけじゃなくて あの日のことを思い出して これからを考えようって 今年は踏み出せる気がする。 春灯 聴けてよかった。 洋次郎、背中を押してくれてありがとう

のの

今年も。ありがとう。 ただただありがとう。

ひでみ

復興を願って、合掌。

だーやま

ありがとう。 合掌。

ふじのえみこ

ありがとうございます。

安珠

毎年ありがとうございます 沢山の人たちが当時感じたこと 見ている今をみさせてくれありがとう

コメントする

内容
お名前