職業柄、気分が高揚するとつい大仰な表現をしがちなので普段はなるべくその動きを抑制しようと心がけているのだが――いや、とんでもない一夜を目撃してしまったというのが正直な感想だ。
RADWIMPSとMr.Childrenの共演がZEPP TOKYOで行われたということ。それは、急遽決定した「RADWIMPSの胎盤」の追加公演にして終幕を飾るにふさわしい、また今後も語り草となるに違いない、奇跡のような必然だった。
あえてアンコールから思い返してみる。「胎盤」ツアーのアンコールでは、時折、RADとその日のゲストがさらなる音楽の交歓をすべくセッションを繰り広げてきたわけだが、この日はまず野田洋次郎が桜井和寿と田原健一を招き入れ、3人で(洋次郎は鍵盤、桜井はアコースティックギター、田原がエレキギター) Mr.Childrenの「車の中でかくれてキスをしよう」をプレイ。Mr.Childrenが国民的な人気を誇るバンドになる前の季節に生まれた、甘いバラードだ。洋次郎は演奏前に「ミスチルとセッションさせてもらえるなら、この曲をどうしても一緒に歌いたかった」と言っていた。そう、この日、洋次郎はひとりのファンとして敬愛を込めて、Mr.Childrenを「ミスチル」と呼んでいた。洋次郎はアメリカで過ごした小学生時代に、Mr.Childrenの楽曲が収録されたカセットテープを、比喩ではなく擦り切れるまで聴いていたという。だからこそ、洋次郎はアンコールであの日の少年に戻っていた。いつかの少年は、青年になりRADWIMPSというバンドを仲間と結成し、音楽に人生を捧げ、“ミスチル”との共演を果たした。だからこそ、洋次郎の感慨は、名状しがたいものがあった。ちなみに洋次郎はRADWIMPSのライブ本編のMCでMr.Childrenとの共演が実現した喜びを語ると、「CROSS ROAD」を弾き語りでワンコーラス歌った。桜井はそんな洋次郎の思いに応えるように、彼の目の前で「夢番地」を弾き語った。洋次郎は鍵盤に突っ伏して、欣幸の至りを全身で噛み締めた。2曲目の交歓。洋次郎と桜井がステージに残り、RADWIMPSのメンバーを呼びこむ。披露されたのは、桜井がBank BandでカバーしたRADWIMPSの「有心論」だ。RADWIMPSと桜井がその歌を奏でている光景はどこか超現実的であったが、その音と声はどこまでも生々しく響いた。
「有心論」を終え、洋次郎と桜井が抱き合う。ステージを去る桜井を、洋次郎は最敬礼で見送った。洋次郎が興奮気味に「もう1曲、歌っていいっすか!?」と叫ぶ。それから洋次郎は、夢について語った。願えば夢は叶うなんて、口が裂けても言えない。現実は、そうじゃないから。でも、だからどうしたと思う。今夜、RADWIMPSがミスチルと共演した事実が、あなたたちに何らかのメッセージになったら俺はうれしいと、洋次郎は言った。最後の最後にRADWIMPSが鳴らしたのは、「夢番地」だった。
記憶を巻き戻そう。2日前にライブハウスツアーを終えたばかりのMr.Childrenは、とにかく“ストロング”だった。まず、音がとんでもなくよかった。ロックバンドとしての無骨さを強調するようなサウンドと、1曲のなかでミクロとマクロの視点を行き来し、摩耗しない真理としてのメッセージ性を浮かび上がらせる歌のスケール感。徹頭徹尾、その迫力に気圧された。ライブハウスの音響で浮き彫りになった、Mr.Childrenというバンドのすごみ。
1曲目の「未完」を筆頭に、近年の楽曲を中心に構成したセットリストにもアグレッシブなモードが顕著に表れていた。そのなかに「掌」や「youthful days」、「Sign」といった、イントロの時点でオーディエンスから歓声があがる過去のシングル曲を織り交ぜるのだから、たまらない。
桜井はMCでRADWIMPSの楽曲をデビュー前のデモから聴いていたということ、その数年後、スガシカオと食事したときに「日本のロックはついにここまできた!」と話題になったというエピソードを明かした。Mr.Childrenにとって、この日が2015年最後のライブだった。ラストはそのことを踏まえて、自分たちとオーディエンス、10周年を迎えたRADWIMPSに捧げる曲として、「終わりなき旅」を響かせた。
Mr.Childrenを国民的バンドたらしめる理由をまざまざと体感する―—そういうライブだった。
そして、RADWIMPS。1曲目「DADA」から「胎盤」ツアーで研ぎ澄まれたグルーヴの強度があらわになる。ステージを自由に跳ね回る洋次郎。盤石のプレイを誇示する桑原彰と武田祐介。このツアーのシンボリックな存在となったとも言える刄田綴色と森瑞希のツインドラム。筆者が「胎盤」ツアーを観たのは初日以来だったのだが、ツインドラムの共振の精度は格段に上がっていた。そのことでバンドアンサンブル全体がさらなる自由度と説得力を獲得していたのである。オープンハンドスタイルの刄田とスタンダードスタイルの森が両サイドに位置する左右対称の画もすっかり馴染んでいる。スタイルの異なる2人のドラマーがリズムを共有している姿を見て、やはり「胎盤」ツアーだからこそトライしたツインドラムなのだ、と確信する。この編成もまた「胎盤」ツアーのメッセージとして機能していたのだ。
もちろん、縦軸にストレートなロックサウンドも刺激的なのだが、個人的に白眉だったのが、「ヒキコモリロリン」におけるジャズやファンク、ディスコの要素を天衣無縫に織り交ぜた黒いフィーリング。ロックサイドから全方位的な音楽の快楽を提示するバンドとして、RADWIMPSはいるということ。そのことをあらためて痛感した。だからこそ、RADWIMPSの歌は、そこに込められたこの世界と生命の実像を全身全霊で捉えようとする野田洋次郎というソングライターの意志は、僕らを強く揺さぶる(そう、それは桜井和寿の作家性とも離れがたく重なっている)。
RADWIMPSはこの10年の総括と新たなフェイズを同時に映し出すライブを「胎盤」ツアーで体現してみせた。その最後にMr.Childrenが隣にいたことは、あまりに特別だった。RADWIMPSの2015年最後のライブは、12月23日、幕張メッセ国際展示場。そこでバンドは何を聴かせ、見せ、感じさせてくれるのか。最新のRADWIMPSをしかと捉えたいと思う。
text by 三宅正一 (Q2)
photo : 植本一子