「夏のせい」のジャケットやビデオの打ち合わせで、何度も出た言葉がある。
「現実のような非現実のような」というひと言だ。
陽炎のように、たゆたう酩酊感。
夏には、そんなものを出現させる魔法がある。それを作品に封じ込めようとしていたのだろう。
それに加えて今年の夏は、現実なのか非現実なのか、起きているのか眠っているのか、朝も夜も曜日も感じられないくらいの季節になってしまった。
マスクに覆われた口元が象徴するように、全ては柔らかいものでふさがれ、はっきりと輪郭を持って立ち昇ってくるものは何ひとつなかった。
人々の表情もマスクで読み取れず、しめった空気が鼻腔を生ぬるく満たしていた。
そんな曖昧さを切り裂くように、RADWIMPSは曲を作り続けた。Youtubeやテレビの生出演という形を取りながらも、全ての曲は映像とともに発表された。
その一方で、国内、海外のツアーが延期になっていった。
最初は3月20日、21日の京セラドーム大阪。
大阪はできなくても、次の福岡PayPayドームはできるのか?
そんな期待、祈りとともに準備は行われていたが、ぽつんぽつんと街灯りが消えるように延期が発表されていった。
誰にとっても、歴史に残る2020年の夏になってしまった。
この時期にRADWIMPSがどう動いていたのかを記録し、映像とともに残しておこうとしたのが本日リリースされる「夏のせい ep」だ。
「Light The Light」は、「中国で不安な生活を送る人たちを励ます曲を作って欲しい」とのオファーを受けて制作された。曲を作っている途中でも、世界中にウィルスが拡がっていった。
「猫じゃらし」は、新型コロナが蔓延する前に作られた曲だが、今年の春には「日常のちょっとした幸せ」の大切さを思い出させてくれた。
「新世界」と「ココロノナカ」は、ミュージックステーションからのオファーに賛同して生まれた。新型コロナ流行の中、「アーティストたちが今届けたい歌」を放送したいというものだった。大きなテレビスタジオには、出演者以外にカメラや照明のスタッフもいなかった。前代未聞のリモートでの生放送となった。
「夏のせい」は昨年の夏に作られた曲だが、今年の夏には特別な色合いで響いた。ビデオ撮影で花火をあげ、全国の花火大会も中止になってしまったし、観た人が喜んでくれるといいねと笑い合った。
こうして振り返って思うのは、楽曲は発表される時期や背景によって、全く別な響き方をするということだ。
優れた表現者は、時代の空気を吸い込んでそれを血肉化し、作品としてアウトプットする。その過程で、予言者のように時代とシンクロしてしまう時もあるのではないだろうか。
曲を聴いていると、フラッシュバックのように「それぞれのあの頃」が脳内再生される。今年の夏、RADWIMPSが響かせた曲を聴いて、あなたもそんなふうに夏を振り返ってもらえたらと思う。
気がつくと、9月。
今日も、PCの画面を通して人と話した。
消毒した手で、この文章を打っている。
どうか、ご無事で。
(追記)
レコーディングスタジオでの食事は、だいたい出前を頼むのだけど、みんなでカレーを食べることも多い。カレーをみんな揃って、いただきまーす!と食べると、何か結束パワーが高まるように思えてしまう。何故だろうと考えてみたら、スプーンの存在が大きい気がした。スプーンでかき込む感じが、「わはは」となるんじゃないか。みんなでナイフとフォークだったら、「おほほ」になってしまうのだ。ナイフとフォークには悪いけれど、ワンディッシュ・ワンスプーンの勢いは止められない。もちろん、カレーのスパイスが気分を盛り上げてくれるのもあるだろうけれど。
「夏のせい ep」のレコーディング中も、たくさんカレーを食べた。夏バテに気をつけて。もぐもぐ。
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