祖母の佳子が先日亡くなった。99歳の大往生だった。
最後まで呆けることもなく、前日まで普通に会話もしていたそうだ。しっかり者のばあちゃんらしい。少し、そんなばあちゃんの話を。
佳子の夫、福雄じいちゃんは僕が生まれる前にすでに亡くなっていたので佳子は40年ずっと一人で生きてきた。子供たちの世話にはならないと、自分で介護付きのマンションを見つけそこに入居した。活発な人で仏教を学び、ヨガの師範をし(若くしてインドにも旅をした)、多い時は100人を超える生徒を抱えていた。70くらいまで夏は一緒にテニスをしたり、身体が丈夫で軽々と目の前で綺麗な三点倒立をして見せてくれたりした。90直前まで車を運転しあちこち移動し(今のご時世では問題になりそう)、春になれば山に入り筍や山菜を掘っていた。世話好きというかお節介なところも多く、小さい頃は会う度に「勉強していますか、私が若い頃は大学に行きたくてもお金がなくて行けなかった。勉強できるのは幸せなこと」そう言っていた。東大を出て最終的に学芸大の名誉教授となった社会学者のじいちゃんのことをとても誇りに思っていたんだと思う。自らも学ぶことをやめない勤勉な人だった。
「いつまで音楽なんてやってるの?」「大学やめてしまったの?もったいない」僕が音楽の道を進むようになってからもしばらくはそんなことを言われた。
僕たち家族がアメリカ、テネシー州に住んでいた頃(僕は8歳だった)、母方の秀男じいちゃんが亡くなった。突然のことで急遽日本に戻り葬儀などを行なったが僕たちには学校があり、父には仕事があり色んな手続きや用事を母に残し数日後には父と兄と僕はアメリカへ戻ることになった。
家事全般、掃除、洗濯、料理の一切をやったことのない父親がはじめて母抜きで子供と生活をする。そんなことは到底無理な話であり、そこで急遽父方の祖母である佳子が派遣されることとなる。28年ほど前のこと。すでに当時介護付きマンションで生活を送っていた佳子だったが、満を持しフライト14時間をかけアメリカのド田舎であるテネシー州はナッシュビルへとやってきた。
はじめて父、祖母、兄との4人暮らし。スーパーに買い物に行き、なんとかカタコトの英語で日々をこなし、見事に大役をやり切ってくれた。最初はなんだか違和感があったけど、ばあちゃんが一生懸命に家のことをこなしている姿に頭があがらなかった。そして、きっと毎日ヘトヘトだったろうにばあちゃんはなんだか楽しそうだった。今となっては良き思い出。
佳子さんは亡くなる数週間前から食事を自ら摂らなくなってしまっていた。実は初めてではない。2019の正月、おばあちゃんは自ら自分の命を終えようとしていた。「私はもう充分生きました」と食事を一切とらず、2週間以上だっただろうか。その時は家族の必死の説得でなんとか踏みとどまってくれたけど、今回はそうはいかなかった。徐々に衰弱していき亡くなる前日、主治医の先生に「本当にお世話になりました」と一言伝えた。最後の最後まで律儀な人だったと周りの方に聞かされた。あっぱれだ。じいちゃんの分まで生きたね。戦争を経験し、たくさん働いて、ヨガに出会い、じいちゃんが亡くなってからもたくさんの命と関わり、本当にお疲れさま。佳子さんみたいにはカッコよく終えられる自信はまったくないけど、カッコいいばあちゃんの孫に生まれて俺は幸せです。
一番好きだったばあちゃんの姿がある。早くにおじいちゃんを亡くしたばあちゃんに一度「また好きな人できたり、再婚とか考えたりしたことなかったの?」と聞いたことがある。するとばあちゃんは少し照れながら「いやー一度もないね。おじいちゃんより素敵な人なんて一回も会ったことがない」と笑った。なんて可愛い人なんだと思った。
残された部屋の中から、僕の雑誌やインタビュー記事の切り抜きなどがいくつも出てきた。10年以上前の僕がインドに行った雑誌パピルスから、つい最近の新聞まで。「音楽なんていつまでやってるの」と言い続けたばあちゃんが、ずっと俺を見ていてくれたことに驚いた。
おばあちゃん、本当に今までありがとう。今頃40年ぶりにじいちゃんと再会できているかな。安らかに、安らかに、眠ってください。
洋次郎
森 聖子(はっぱ)
心より ご冥福をお祈り申し上げます。
長い人生の中で たくさんの経験をされ 幸福だけではない ご苦労もおありだったと思います。愛する人への労力をいとわない 全身全霊で愛を注げられる方ですね。自らを律し決して子供達の世話にならないと自らの命をカッコ良く終える。私の理想です。感動し涙が出ました。きっとアメリカに行った時もご自身の労力よりも子供や孫達が喜んでくれる 自分を頼りにしてくれていると それが何よりも嬉しかったのだと思います。仏教を学びその中にたくさんの素晴らしい教えがありますね。それを しっかりご自身のものにされていたのでしょうね。ご祖父様のことを誇りに思い次会う時には「がんばって生きました。素晴らしい人生でした」と胸を張っていたいと思ったのかもしれませんね。今きっと言葉にはせず目の前に立ち じっとご主人様を見つめているような気がします。洋次郎さんのことを本当に愛していた 今も愛しているのだと思います。洋次郎さんのボランティア精神はご祖母様から受け継がれているのかもしれませんね。天国でご主人様に会って今 本当にお幸せなのだと思います。 合掌
※この記事を読んだ4月6日は私の父の命日でした。
NF
亡くなられた後、ご家族から「お世話になりました。」と言われた時、本当に平穏な気持ちが湧いてくるものです。
でも佳子さんの主治医が誰だったかご存知ですか?
佳子さまご自身です。
ありがとうございました。
a
i love you granma. rest in peace.
さとみ
洋次郎、大変な時におばあ様の事を教えてくれて、
ありがとう。
素敵なおばあ様ですね。
ご立派に天寿を全うされたのですから、天国でおじい様と再会できていると思います。
厳しいことを仰っても、おばあ様が家族を思うお気持ちは温かく、たくさんの愛が満ちていたことでしょう。
私はまだ24歳なので、やりたいことがたくさんあります。
洋次郎のおばあ様のように、生き抜いてみたいと思いました。
心より、ご冥福をお祈りします。
天国でも、おじい様と幸せに過ごせますように。
やよい
はじめまして。
私はいつも心を落ち着かせるとき、自分を見失った時にあなたの歌に励まされて生きています。
あまりいつもはつぶやかいたりせず身を潜めていますが、
おばあちゃんへの思いは泣けました。
今頃はあなたの音楽をかけ、穏やかにヨガをしていおられる事と思います。
素晴らしい活動的なおばあちゃんがこれからも見守って下さるでしょう。
寂しいでしょうが、気を落とさずにこれからも私たちに元気と笑顔と安心を届けて下さい。
合掌。
haruka
佳子さん、すごい人だったんだね。
強くて逞しくて憧れる。
佳子さんの周りの人達はみんなパワーや勇気をもらえていたんだろうな。
洋次郎、お話ししてくれてありがとうございます。
佳子さん安らかに。
佳奈
同じ女性として、尊敬しかありません。
涙が出ます。
素敵なおばあちゃんの話、ありがとう。
おばあちゃんの孫である洋次郎が大好きです。
木村 美子
私の祖母の順子と和子も、格好いいです。近くで生活をみていると、強く逞しく朗らかに、一日一日を精一杯生きているのがよく分かる。生まれてからずっと、衣食住や教育に困ることなく生活してきた私なんかとは全然ちがう。生きることへの向き合いかたが、土台から違っているのだと、いつもはっとさせられる。二人が、ありのままの生きざまを私に見せてくれている、そこから学びなさいと、いつも言われている気がする。こんなにも、幸せなことって、ない。長生きしてくれて、本当にありがとう、ちゃんと受け継いでいくからね、っていつも思う。本当ならずっとずっと、見てて!と言いたいけれど、それは叶わないから、いま一緒に過ごせる幸せを大事にする。そんな、私の毎日です。
佳子さん、素敵なお孫さんでいらっしゃいますね。どうか安らかに休まれてくださいね
ななこ
佳子さん、なんと見事な仕舞い方。斯く在りたい(ま、絶対無理ですけど笑)ご冥福…も、ご愁傷さま…も、似つかわしくないですね。そうだなぁ…ピンクのトルコキキョウを差し上げたいです。🙏
みね
素敵なおばあちゃん