あれから7年が経ちました。今年も曲を作りました。3月11日には間に合わなかったのですが、今日発表します。曲名は『空窓』です。
昨年、福島県立浪江高校は3月31日をもって休校しました。その最後の卒業生の生徒さん達から文章を受け取りました。今年はそれを元に歌詞を書きました。
震災が起きた瞬間の気持ち、家族と離れる気持ち、残る人、離れる人、7年という時は10代にとってあまりにも大きな時間です。体験していない僕には想像することしかできません。できるだけその言葉から受け取った想いを、過不足なく音にのせようと思いました。ぜひ、聴いてください。
今年も映像はコトリフィルムに作ってもらいました。2018年3月11日の空です。不思議な空でした。音は今年、菅井さんと共に長年一緒に仕事をしてくれている澤本君にお願いしました。
今でも震災の影響で不自由を強いられている方々に早く安らかな時が訪れますように。そして震災で亡くなったすべての命に、合掌。
洋次郎
空窓 / RADWIMPSオフィシャルYouTube
Wimper001
私はこの町に住んでいました。
あのとき16歳だった私が今では立派な24歳の大人です。
あれから楽しいとき、辛いとき、嬉しいとき、悲しいとき、たくさんの感情をRADWIMPSの曲と共に生きました。私のガソリンみたいなものです。
RADWIMPSに関わる全ての人にありがとうを伝えたいです。
7年分の思いを込めて、ありがとう。
ママ
クルマで片道9時間。遠くに感じていた東北も、何度か訪れるとただいまの感覚です。いつもの場所から見下ろす景色とか。ポータルセンター、移設していた商店街、女川。海鳥や青い鯉のぼりたち。学校跡地の傍に公園ができて、子どもたちの笑い声が響いていたよ。そして、店内の壁に貼られたRADのサインを眺め、「おいしい」ひと時。帰り道はいつも、復興を支えてくださる方々に感謝の想いです。
たまに子どもたちに震災の絵本を読むこともあって。なかには「希望」という言葉がピンとこない子もいたりするけれど、旅の話をするうちに本当の話?日本のどこ?いつのこと?とあれこれ訊かれます。そのまっすぐな瞳にちゃんと応えられたらいいな。
『空窓』ありがとう。命日の空は御家族のもの、たぶん映像でしか見ることはないと思っているので感慨深いです。
洋次郎、お誕生日おめでとう。洋次郎も幸せになるんだぞ。
匿名
ずっと待ってました。RADWIMPSのお陰で忘れずにいられました、こんな言い方いいのか分からないけど…
鳥さん
生きているのが幸せだなって感じました。
がむしゃらでも、前に進みたいです。
中学3年
トアルラッドファン
二日や三日で帰れるものと]
地震て怖いと思った
よつばちゃん
勝手なお願いです
空窓をはじめとした3.11に向けた曲をアルバムにしませんか
その売れたお金を東北復興の寄付にしませんか
前にカンボジアの地雷キャンペーンをNEWS23でやっていて、
坂本龍一さんが作曲してCDを作成したのですが
私は番組に共感して数枚CDを買って友達に配りました。
地雷に興味のない人にも音楽を通して知ってもらうことができました。
今回のこの曲もいろんな人に広めたい。
でも動画では手渡しができません。
中には売名行為だと言う人もいるかもしれない。
でも「知る人ぞ知る曲」ではなく「知らない人はいない名曲」になったほうが
浪江高校の卒業生をはじめ、勇気づけられる人は間違いなく多くなると思います。
被災者の方はもちろん、きっと誰もが共通して胸が熱くなる歌詞だと思います。
空窓は3.11が色あせないように、学校の教科書に載って歌い継いでほしい曲です。
地震をはじめとする天災が絶えない日本だからこそ、必要な曲だと思います。
被災者の子供が転校先でいじめにあうような悲しい報道もありました。
この歌詞がもっと広まればいいのにと思います。
洋次郎がこの歌を利益のために作ったのではないのは分かります。
私のこの考えに否定的な人もいるでしょう
でもこの曲を待っている人はwimperだけじゃないと思います。
空窓を繰り返し聴くたびにそう強く思うのです。
善
何か感じました
あおい
ありがとうございます。今までの曲も聴き直しました。忘れないとか、思い出す、思い出したくない、そういうことじゃないですね。あの日だって通過点だし、今年の3/11は岩手、宮城、福島の人はふつうに温かい味噌汁を飲んで、学校/職場へ行き、家へ帰り、テレビを見て、過ごしているんですよね。それでいいんですよね。7年は長いし、それでいいんですよね。
みく
ほんとに歌詞がストレートで何も飾ることなく思いが詰まっていて涙が出てきた。
あの時はまだ小学生3年生で被災地の方に知り合いがいるわけでも、思い入れがある訳でもない、あの悲惨さの意味もわからなかった。
小学6年生くらいの時RADWIMPSに出会った。
そして中学生くらいになり震災の事を学び自分でも調べ始めた。RADが作る3.11の曲も深く考えるようになり、毎年涙を流しながら聞いた。一時は[こんな歌作られなければよかったのに]って考えて聞かなかった時もあった。
でも、今では起こったことを嘆いて目を背けるんじゃなくて、その事に対してどう思い、どう動くのかが大切なのかなと思い今ではその日を大切にしたいと思っている。
長くなったがつまり、私にあのことに関して考えるきっかけ、時間、を与えてくれて
ありがとう。
林穂華
今年も作られたんですね
今年のものはストレートな歌詞でぐっときました。
3月11日のことを忘れて、自分のことで嫌になっていた自分が醜く思えました。
さようなら ありがとう
何気なく使うたった一言を言えずに命を失くした全ての人のために、強く、生きたいと思います。
窓空の歌詞では、弱いが何かわからない、と歌ってました。
私なりに考えた結果、強い、弱い、という言葉は自分だけでなく人にも影響を与えると思います。
少し話がずれてしまいましたが、私はこう考えました。
世界は面白いことだらけです。
もしあの震災がおきていなければ、こんな歌も出来ませんでした。
起こってしまったことは仕方ありません。
だから私は毎年、この日命を失った方々の分まで必死に生きようと思いました。
本当にありがとうございます。
長々と失礼しました。
これからも応援します。
匿名
去年、どこかでこの日にまた投稿してくれると楽しみにしている自分がいました。そして少し残念がってしまった自分もいた。しかし今年その曲を聴いて、なんとも言えない感情に包まれました。いつもRADWIMPSの楽曲に助けられています。空窓 最高でした。ありがとう。
ザワ
洋次郎ありがとう。早く、みんなに幸せな日々が来るように合掌。
芽依
時の流れが解決するなんてよくいわれますが、震災の被害は何にも解決されず、それをあの場所から遠ざけるって言葉が凄く身にしみました…。
私には、故郷を出なければならなかった時の気持ち、知らない土地で過ごす気持ちなどは体感することもなければ、分かることなんてできません。けど、分かろうとすることはできるなと。この曲をきいて、野田さんが受け取った手紙から感じたその気持ちを、一緒に共有して、少しでも分かることができたらなって思いました。
聞いていて切なくて、大きな滝壺に飛び込む勇気もなく、ただただ上から眺めて、水の音に耳を済まして、最後はそっと引き返して、歩き出すのが浮かびました。最後に必ず希望というか続きを生み出してくれてありがとうございます。
どうか心の蓋を開けても、溢れかえらない時がきますように。
19770315
もう随分昔の卒業生です。
泣けました。
後輩たちの思いを掬ってくれてありがとうございます。
あやな
聴きました。とても心にしみてくる曲でした。RADWIMPSの曲とともに忘れてはならないあの日のことをしっかりと考えていきたいです。
rad
ありがとう。
ただ、ありがとう。
思い出させてくれ
匿名
歌詞を読んで涙が止まりませんでした。
私も、私の友人も親戚も皆無事で、でもそれは本当に
偶然でしかなくて。
今も生きていられる事に感謝しなくてはいけないのに、
年月が流れるにつれて、震災が自分の中で「過去」になっていることを実感して、
そんな自分にゾッとします。
あの時感じた悲しみや苦しさ、人間の無力さと強さを忘れないため、
そしてその感情を手元に残せるように、これまでYouTubeに
あげてくださった曲たちをアルバムにしてもらえたら、と思ったりもします。
そして震災直後、私はいつも野田さんの歌声に救われていました。
野田さんの声を聴けば、少しだけ気持ちが落ち着くのを感じていました。
野田さんが歌声が世の中に存在していて良かった。
☆
RADWIMPS 大好き。
nakaune
震災が起きて横浜でパニックになっていた時に、狭心症を聞き、自分の悲鳴を言葉にしてくれる人がいることに救われました。ボランティアに行っても、想いを馳せても、どうしても自分は部外者で、それでも痛みも想いもあって、だけど当事者に寄り添い続けるのは難しくて、もともと部外者な上に、現地から距離があるぶん余計に遠く遠くなって。現在は海外で暮らしていて、忘れてしまう自分を受け入れてしまいそうになっていたのですが、youtubeに上がっている洋次郎さんの曲たちを聞いて、痛みとつながっていられました。自分の立ち位置から、まっすぐ向き合い続けている洋次郎さんの姿に力をもらっています。ありがとうございます。洋次郎さんの痛みを包みこむ存在が、側にいらっしゃることを祈ります。素敵な春を。
haru⭐️
人への愛がいっぱい詰まっていて、自分を取りまく人への感謝や愛情を忘れないようにしようと思う。空窓とても良い曲。自分の心の窓を開いてくれるのはRAD WIMPSだけです。ずっと大好き。
ハリネズミのきゅうた
私の身近にも、故郷を離れて神奈川に来てる人がいます。
空窓、この曲を聞いて思ったこと。
確かに、故郷から離れて暮らす後ろめたさをどこかで感じているかもしれない。悪いことなんか何もしてないのに。経済的な理由、立地的な理由、親族的な理由、私たちが計り知れない理由があって、被災された方は7年それぞれの生き方をしていると思います。私なんかよりずっと生きること、生き方を考えてきたのだろうと思います。
私は、せめて、その人との出会いも大切にしたいです。
たくさんの悲しい出来事が重なって起きた、今の奇跡的な出会いを大切なものにしなきゃと思います。7年前から何もいいことないなんて言わせたくないから。
背負えるものならば一緒に背負いたい。分かち合いたい。そういう仲間になりたい。と思います。
洋次郎、また、気がつかせてくれてありがとう。あなたは私の生き方に何度も喝を入れてくれます。
高校生のみなさんも決して言葉に起こすのは簡単な事じゃなく、祈るような気持ちで心境を綴ってくれたのだと思います。本当にありがとうございます。
これからも、私たちは被災が待ってるのかもしれないけど、いやだけど、そんな時、人が救い合える関係でありますように。
そして、人的な被災だけは起きませんように。
Toki
今年もありがとう。
忘れちゃいけないんだって思える。
大切な人達と(少しでも)一緒に過ごして生きます。
大五郎
ありがとう
ありがとう
meme
去年、曲を作らなかった深い想いを聴き、共感したのを覚えています。
今年は作られたのですね。温かい心が伝わってきます。
じっくり耳を傾けたい曲、あの空を見上げて、合掌します。
ありがとう…
DADAcco
今、「空窓」聴きました。
洋次郎が、あの地震で色々なものを失ってしまった10代の若者たちの気持ちを言葉にして、音に乗せ、RADWIMPSが私たちに届けてくれました。
毎日、色々なことに追われるように過ごしているとあの地震のことなんか忘れてしまう自分がいます。こうやって曲にしてくれることで大勢の人に届き何回も何回も聴いて、思い出すことが出来ます。ありがとうございます。
さようならって言って別れることが出来るって…そうか…幸せなことなんだ…。さようならもありがとうも言えないで、あの時のまま残ってしまった気持ちをずっと抱えて、これからも生きていかなければならない人がたくさんいることに気づかせてくれ、ありがとう。
なんか、言葉にすると薄っぺらくなっちゃうけど素敵な歌を届けてくれてありがとう。ちゃんと受け取りました!
xxxx
追伸
涙が出て止まらないので、ちゃんとしたコメント、書けなくて
申し訳ないです。
ありがとうございます。
君野サンジ
上海のwimperのサンジと申します。
職場で曲聞けませんけど、歌詞を拝読させていただきました。
洋次郎がいてくれてるから、この世界が美しいと思えます。
今でも震災の影響で不自由を強いられている方々に早く安らかな時が訪れますように。そして震災で亡くなったすべての命に、合掌。
大好きです。
xxxx
曲をつくって下さってどうもありがとうございます。
東北にすんでいないので、募金箱みるたび、募金したりはしましたが、
震災された方々しか、大変さはわからないです。
とにかく、忙しいなか、野田さん含め曲に携わったRAD、スタッフの皆さま、
どうもありがとうございます。
合掌。
はる
浪江高校の生徒さん達からの言葉を曲にして、私たちに広く届けてくれてありがとうございます。もし身近に被災者の知り合いがいたとしても、本人達に当時の事をどう思っているかは、わたしにはきっと訊けないから…。こうして形になるまでに大変な事もあったと思いますが、声にならない想いを歌にして、届けようとしてくれる、そんな関係者の方、スタッフの方、RADWIMPSをファンとして誇りに思います。いつもありがとう、だいすきです!
千
私は沖縄に住んでいます。沖縄は1番被害がなかったです。ですから、悲しみ、苦しみ、それは分かりません。分からないから、この曲がみんなにどう響くのかは分からない。けど、RADが曲としてあの震災を、みんなの記憶に、世界中に、伝えてくれること、本当に誇りに思います。ありがとう。そして、7年前のあの震災で亡くなった方々、親しい人を失くした方々、本当に、痛みを知らなくてごめんなさい。
きりん
あの時中学2年生だった僕が、今年で大学4年生になりました。今年が学生最後の年。学生として、何が出来るでしょうか。「音楽」という形で沢山の人の心を支えるRADをとても尊敬してます。僕は僕なりの何かで誰かを支えていきたいです。
もちこ
強い人になったんですね
ふっくー
はっきりとした日本語でどストレートに伝わったつもりですが、きっと震災に直接的に関わらなかったわたしと、関わった方々では伝わり方が全く違うんだろうなと思いました。
それでもわたしなりに、受け取ったつもりです。
洋次郎のおかげで薄れかけていた気持ちが毎年取り戻されます。
ありがとう。